このカテゴリーはどう生まれたのか
- 1391ポグロムと集団改宗。数万人が一挙にキリスト教共同体に加わります。
- 15世紀洗礼を受けた家族が役職に就き、貴族と縁組をします。やがて不満が高まり、改宗は本心からではないのではという疑いも生まれます。
- 1478異端審問が設置され、洗礼を受けた人々にも管轄権が及びます。以前の信仰を秘密裏に守ることは、異端とみなされました。
- 1492追放令によって、改宗するか立ち去るかの選択を迫られます。新しいキリスト教徒の数は、再び急増しました。
ここで重要なのは、見落としやすい法律上の点です。異端審問は異教徒を管轄していませんでした。対象は、キリスト教内部の異端だったのです。だから洗礼は人を守るどころか、逆に異端審問の管轄下に置くことになりました。
✕ 俗説
異端審問は、ユダヤ教徒やイスラム教徒を信仰ゆえに迫害した。
✓ 事実
形式上の対象は洗礼を受けた人だけで、以前の信仰に秘密裏に戻ったとして告発しました。洗礼を受けていない人はその管轄下に入らず、彼らには追放が待っていました。
血の純潔
15世紀になると、血の純潔に関する規定が現れます。先祖に異教徒がいる人は、役職や騎士修道会、大学への道を制限されました。本人の信仰は、もはや決定的な要素ではなくなったのです。
これは根本的な変化でした。宗教上の境界は洗礼によって越えられますが、血筋は越えられず、疑いは受け継がれます。歴史家はここに、宗教による区別から、後に人種による区別と呼ばれるものへの移行の初期例の1つを見ています。
証明書をめぐる一大産業も生まれました。出自の証明、証人、先祖に関する記録の調査です。非の打ちどころのない家系を証明する書類は価値ある財産となり、偽造された家系図も当たり前になりました。
その一方で、家族の運命はさまざまでした。社会に溶け込んだ家族もいれば、国外へ移住した家族もいます。何世紀にもわたって自分たちの出自の記憶を守った家族もいました。そして、以前の信仰を秘密裏に守ることがどれほど広まっていたのかをめぐる議論は、今も続いています。
理解度チェック1 / 2
新しいキリスト教徒と呼ばれたのは誰?
なぜ洗礼を受けても異端審問から守られなかったの?
出典
- 「新しいキリスト教徒」という用語は、スペインとポルトガルで、洗礼を受けたユダヤ教徒やイスラム教徒とその子孫を指して使われました。異端審問の対象は異端だったため、その管轄は洗礼を受けた人々に及びました。1492年には、洗礼を受けていない人々に対して追放令が出されました。血の純潔に関する規定は、出自を理由に役職への道を制限しました。以前の信仰を秘密裏に守っていた人々がどれほどいたのかは、現在も歴史学上の議論の対象です。
「異端審問」シリーズの続き
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