最初は外から評価されていた
小さいころ、何かをうまくできたかどうかは、周りの人の反応から知っていました。大人は褒めたり、顔をしかめたり、ため息をついたり、黙ったりしました。あなたはその反応から、何をすれば温かく迎えられ、何をすれば冷たくされるのか、地図を作っていったのです。その地図を頭の中に置いておくのは役に立ちます。反応を先回りして予測し、同じ場所で二度つまずかずにすむからです。
やがて、そのモデルは元の相手がいなくても働き始めます。もう相手が何と言うか考えることなく、すぐにその言葉が聞こえるのです。声は引用符も出どころもない一人称でやってくるので、記憶というより、冷静な評価のように感じられます。ここが落とし穴です。他人の言葉なら簡単に反論できるのに、自分の考えにはほとんど反論できません。
文章を書いた。まあまあできた気がする
まあまあね。そんなの誰でも書けるよ
気に入ったって言われた
社交辞令だよ。間違いを見つけるまで待ちなよ
もし見つからなかったら?
よく見てなかったってこと
このやり取りの仕組みに注目してみてください。批判者には、自分が間違っていたと認める条件がありません。褒められれば社交辞令、黙っていれば全部だめということになります。どんな結果になっても正しいことになる主張は、何も測っていません。ただ繰り返されているだけです。
内なる批判者が自分では止まらない理由
批判者には役割があり、それを果たしています。結果を先に価値のないものにしておけば、他人からの批判に不意を突かれずにすみます。打撃はもう、自分の手で与えてしまっているからです。そこからは、コントロールできている感覚が生まれます。だからこそ、この仕組みは残り続けるのかもしれません。代償はあとからやってきます。成功の喜びまで、先に低く見積もって奪ってしまうのです。
それに、更新もされません。そのモデルは、大人に言い返す方法がなかった年齢のときに作られ、それ以来一度も見直されていません。街も仕事も人間関係も変わったのに、頭の中の言葉は子ども部屋にいたころのままです。頑固だからというより、何も確かめる前に覚えたルールは、そもそも見直しの対象にならないようです。
正しさではなく、声の大きさの目盛りです。今、その声がどのあたりで響いているか印をつけてみましょう。強さがあり、1日の中で変わるなら、それはあなた自身ではなく、状態です。
どの程度、証拠があるのでしょうか。自己批判と気分、不安のつながりは長く測定されており、安定して再現されています。一方、特定の声の起源は、大人の記憶からたどります。これは誠実ですが弱い方法です。記憶は、過去を現在の気分に合うように整えてしまうからです。つまり、証拠の強さは中間です。全体の半分は測定され、半分は記憶に支えられています。仕組みはもっともらしいものの、自分のその言葉の正確な来歴を証明することはできません。
批判者が、褒め言葉を成功の証拠として認めないのはなぜ?
内なる批判者の言葉を確かめるには?
出典
- 内なる批判者を、他人の声を取り込んだものとみなす考えは、心理療法の学派に由来します。現在、自己批判はFSCRSなどの質問紙で測定され、気分の落ち込みや不安と安定して関連づけられています(Gilbertほか、2004年)。特定の言葉の子ども時代の起源に関するデータは回顧的なものであり、つまり相関関係を示すものです。
「自尊感情」シリーズの続き
サイトで全文公開3本、アプリにさらに3本
