布を禁じた3つの理由
1つ目は経済的な理由です。絹は遠方から運ばれ、貴金属で支払われていたため、当局は国の富が流出していると考えました。着用を禁じることで需要を抑えましたが、その制限を道徳の問題として表現したのです。
2つ目は身分上の理由です。商人が貴族のような服を着られるほど裕福になると、外見で身分を示す仕組みが機能しなくなります。そこで法律は、違いを強制的に取り戻しました。特定の布や色を身につける権利は、財布ではなく生まれによる特権になったのです。
- 古代ローマ元老院では、男性の絹の着用禁止が議論されました。絹は人を軟弱にすると考えられ、その出費は国庫を圧迫するほどだと見なされていました。
- 中世ヨーロッパ都市の法令は、誰がどの布地や毛皮、色を身につけてよいかを細かく定めました。違反者には罰金が科され、服を没収されることもありました。
- 江戸時代の日本裕福な商人には、武士身分より上に見えないよう、質素な服装が義務づけられました。そこで商人たちは、裏地に絹を使うようになりました。
最後の例は、こうした規制がたいていどう終わったかを示しています。禁止されたのは目に見える部分だったため、ぜいたくは内側へ移りました。外側は質素でも高価な裏地を使う服が、独自のスタイルになったのです。制限は欲望を消さず、その形を変えただけでした。
こうした法律は、ほとんど機能しませんでした。何度も再公布しなければならなかったことが、人々が違反していた最も確かな証拠です。
3つ目の理由
自国の生産を守る目的もありました。国内の織物産業を育てていた地域では、地元の工房を支えるために輸入品が制限されました。法律の文面には道徳的な表現が残っていても、経済的な意味は逆になっていました。支出を抑えるのではなく、自国の生産者を支えるためだったのです。
こうした法律は、布地が安くなるとともに姿を消しました。絹が珍しいものではなくなり、工場生産によって華やかな服が手の届くものになると、服装で身分の境界を守ることはできなくなりました。身分を示すものは、別のものへ移っていったのです。
法律をどうかいくぐったかも興味深いところです。禁止された布は裏地や縁飾り、衣服の下の層などに使い、その上から許可された服を着ました。取り締まる側は文字どおり縫い目まで調べなければならず、やがて法律そのものとともに取り締まりも廃れていきました。
道徳以外に、絹の禁止の背景にあった理由は何ですか?
こうした法律が何度も再公布されたことは何を示しますか?
出典
- 奢侈禁止令は、古代ローマや中世ヨーロッパの都市、江戸時代の日本に見られます。何度も再公布されたことは、実施が難しかったことの表れとされています。
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