猫のミイラは埋葬ではなく供物
1体ずつではなく、広い範囲から大量に見つかっている。サッカラ、ブバスティス、ベニ・ハサンの地下墓地では、包みが何千個も層をなして置かれていた。主な流行は紀元前7世紀ごろから紀元後の最初の数世紀まで。神殿への巡礼が大衆化した末期王朝時代、プトレマイオス朝時代、ローマ支配下のエジプトにあたる。
考え方は単純だった。猫は女神バステトの動物であり、場所によってはパケトのような獅子頭の女神の動物でもあった。願いを届けるには仲介者が必要で、ミイラは手紙のような役割を果たした。体が保存されていれば、動物の魂が旅をして願いを届けられると考えられたのだ。巡礼者が神殿に来て、できあがったミイラを受け取り、神官が地下墓地に納める。これで願いは送られた。猫を神殿で繁殖させ、育て、時期が来ると殺し、遺体を防腐処理して包帯を巻く。こうした一連の流れが成り立っていた。
ペットも防腐処理されたが、それはまれだった。最も有名なのは、王子トトメスの愛猫タ・ミウだ。彼女のために、銘文入りの石棺が彫られた。違いはすぐにわかる。ペットには個別の棺と名前があり、供物には包帯と共同墓穴がある。
包帯の下に猫がいるとは限らない
現在、ミイラはほどかずに透視して調べる。マンチェスターでエジプトの動物を包んだ包み800個超をX線とCTで調べたところ、実態はさまざまだった。
偽物と呼ぶのがいちばん簡単だが、研究者自身はそう考えていない。むしろ、聖なる動物に関係するものなら何でも包みに入れたのだろう。寝床の材料や貝殻、囲いの砂などだ。信者にとっては、それで十分だったのかもしれない。買い手をだました可能性も否定はできない。包みだけでは、意図までは読み取れないからだ。
はっきりしているのは、その規模だ。猫はほとんどの場合、若かった。また一部には頸椎のずれが見つかり、意図的に殺された痕跡と解釈されている。動物が自然に死ぬのを待ったのではなく、需要に合わせて供給していた。これは墓地ではなく、神殿を中心とした生産だった。
終わり方も、始まり方にふさわしいものだった。1890年、ベニ・ハサン付近で見つかった猫のミイラが貨物としてリバプールに運ばれ、肥料として競売にかけられた。エジプトの地下墓地に丁寧に納められていたものが、イギリスの畑の肥やしになったのだ。いくつかのミイラは博物館が引き取り、残りは土に戻された。
巡礼者はなぜ猫のミイラを神殿に持っていったの?
猫の包みの中には何が入っていた可能性がある?
出典
- マンチェスター博物館と大学による動物ミイラの研究(800個超の包みをX線とCTで調査)、およびサッカラ、ブバスティス、ベニ・ハサンの地下墓地に関する出版物に基づく。1890年のリバプールでの競売については、当時の新聞報道で知られている。
「エジプト神話」シリーズの続き
サイトで全文公開2本、アプリにさらに3本
